春の読書感想文。と近況報告

 

東京セブンローズにはしてやられた。誰かの日記を盗み読みするような、かといって他人の日記というよりもおじいちゃんの手記みたいな文章をただひたすらに読んじゃうような、少しの罪悪感となぜかわからないけれど懐古の情がわく不思議な記述が並ぶ、それをずっとずっと追いかけていくような、そんな本。続きが気になって次の日の日記もつい読んでしまう。めくる手が止められない。

 

 

東京セブンローズにはしてやられた。全くの他人である絹子の死が、すぐ、すぐそこに、そして今でも、わき腹にズドンと、重く残っている。ああ今日は絹子の命日だ、なんてわけのわからないような独り言をつぶやいて空を仰いでしまうようなことさえ次の自分には起こりうるのではないかと思わせるほどに繊細なところをつついてくる。

 

 

東京セブンローズにはしてやられた。先の戦争の話だと思ったのにそれはそうではなかった、むしろその後に、この数年の間にこの国に起きたことを鮮明に書き残しておいた方がいいだろうという誰かの善意の文章であった、ような気もする、うん、そうなはず、と思いたい、のに、気がつけば敗戦直後の記述が一行もない。

 

 

東京セブンローズにはしてやられた。女はこれだからバカなんだという先入観みたいなものがどこかにあって、いやいやそれは女たちが「私はバカだから」と言って自分の立ち位置を確保してきた、まさに現代にも続くまでに維持され支持されてきた過去の女たちの知恵と工夫と血と汗と涙の結晶としての仕草からくるもの、であるのだけれども、その立ち位置で華麗見事にバカを演じきったところにかつての日本の粋を見る。

 

 

東京セブンローズにはしてやられた。やっぱりそれはそれでないとできなかった、ち密な計算と情報共有と役割分担に支えられた、これが本当の「あっぱれ」なのでは。戦後の武士を引き受けたのは女たちだったのか!

 

 

東京セブンローズにはしてやられた。フィクションでありながら全くその時代に生きているかのように、時代に没入させ夢中必死で日々をむさぼり生きる如くのゴキブリやドブネズミ以上の執着、強靭な粘り強さ、忍耐という言葉さえそれがポジティブに思えるほどの過酷な現実を生き抜いた人々の、現実のようでいて現実で、でも現実ではない、物語だった。

 

 

『東京セブンローズ』井上ひさし著 文藝春秋

 

 

 

 

補足。戦中~戦後の日本を日記という形で書き留めた大作。わたしはこの本に併せて紹介したい本やコンテンツがいくつもありながら、結局何をも取り上げることができなかった、忙しさにかまけてと言ってしまえばそれまで、しかし、どうもいまいち自分の中でのコラボがうまくいかなかった。

 

 

 

ここからは近況報告。

 

今年初めくらいか、「1年から4年までのウェルビーイングの授業を」とご依頼をもらいました。苦悩苦悩の授業作り。理論的にウェルビーイングを扱うこともできるし、それが本来的な授業なのかもしれないけれど、ここはいっちょ理解ではなく実践と体得に重きを置いた4年間の流れで進めることに。そのほかにも色々新しい授業が増えました、何より授業がオンラインから対面になったことは大きいです。毎週ギュウギュウ詰めの山手線で通勤してます。それで、コロナになって改めて考えていた「我々は対面で一体何をしていた(る)のか?」という問いを、深く新しい目で探求中。面白い!

 

そんなこんなでもう一ヶ月経ちますが、東京商工会議所中小企業部さまという大それたところから直々にご連絡とご依頼があって(驚愕)、会員限定の配信動画で採用セミナーを担当してます。

 

「データ・事例から考える中小企業における採用のポイント」5/10まで限定公開中です。