年が明け、今年も授業は組織行動論からリーダーシップ論の内容に入りました。
中国からの留学生が多い今年のクラスでは、
「岸田総理大臣あるいは習近平国家主席からあなたが受けている恩恵は何ですか」
という質問からスタートしました。
授業後に学生からもらっているリアクションペーパーに、意見がありました。
「私は習近平国家主席のリーダーシップについて話をするのはよくないと思いました。
中国人にとっては大変繊細で敏感な内容だと思うからです。」
同時に、授業中には
「ここは日本だから何を言ってもいいよね」という会話もありました。
言論の自由が(一応は憲法のもとに)保証されているこの国で
教鞭をとることができるという、
自分自身の特権に気づかされた出来事でした。
強力な国際的カリスマリーダーというと、
皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか。
学生からはスティーブ・ジョブズ(apple)とか
曹操(三国志)とか森保一(サッカー監督)とか
毛沢東(建国者)とか、色々な人が挙げられました。
わたしはここにアドルフ・ヒトラーを挙げたいと思います。
後世にわたり我々に教材を提供してくれているという意味でも。
現在の国のトップについて、そのリーダーシップを議論すること。
民主主義の国でしかできないことなのかもしれませんが、わたしは、
だからこそ、この日本でリーダーシップについて考える機会は貴重な、
それでいてとても大事なことだと思います。
リーダー(特にカリスマリーダー)の権力は思った以上に強大で、
相手の意思にかかわらず相手を軽々と“そう”させてしまう。
リーダーが自分の影響力を見誤って消えていく事例はごまんとあります。
最近芸能界を騒がせているあの会社、あの人を見れば明らかです。
ヒトラーの事例をもとに、カリスマ型リーダーの人々への影響力を認識し、
強力なカリスマ性とともに強行される事柄に対してアンテナを持ち続けること。
カリスマを作っているのは何なのか常に検証し、悪を拒否する知恵を持つこと。
リーダーシップについて論じる際に、
人間一人、自分一人の力の大きさを、わたしたちはしっかりと
くれぐれも真正として受け止めることが大切だと思っています。