問題を作る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは幼いころから、

「問題を提示される→答えを出す」

というようにしつけられているから、

 

 

 

目の前の解決不能な状況を「問題」ととらえて、

「解決」に方策が向かいます。

 

 

家庭でも職場でも、国際情勢でも一緒です。

 

 

 

解決策や答えがないことに直面すると、

混乱し、人によっては苛立ちを覚えることもあります。

 

 

 

考えてみれば、

世の中には答えが出ないものの方が多いのにも関わらず、

 

 

わたしたちは同時に、答えの出ないことを忘れるのも得意です。

そして忘れることに自覚的ではありません。

 

 

 

脳は目の前のことを、いとも簡単に問題化します。

 

 

現状は凶で、それは善にする必要のあることなのだ、と判断し、

とっさに解決しなくてはと動き出します。

 

 

そして(結果的には)無駄な介入が広がっていきます。

 

現状が善であるなら、自分は役立たずの能無しになってしまうからです。

 

 

 

 

ここで、貢献という視点を持ってみます。

 

この状況で自分が貢献できることは何か?

 

もちろん、

貢献する先が対立を促進する対象かどうかを見極める知恵も必要です。

 

 

 

目の前のことを問題にする。

そのこと自体が問題を拡大させる。

 

 

 

 

この図式に気づいていると、

世界は全く違ったものに見えてきます。

 

 

 

今のロシアとウクライナについては、

圧倒的にロシアが、いや、

 

プーチン大統領が悪者になっています。

 

 

確かにこの非道は許されるものではありません。

 

しかしプーチン大統領を動かしたものの存在をないがしろにできません。

 

 

 

また、ウクライナも同じです。何度同じ道を歩めば気が済むのか。

 

 

ウクライナはかつて幾度となく独立しようとしてきました。

 

失敗の過去の道とまた同じ道を歩み、この有り様であることを。

 

誰も指摘しない。ゼレンスキー大統領の被害者面はもううんざりです。

 

 

 

まあ、日本だって。

 

 

 

人のことをこのように指差して非難するのは簡単です。

 

その指、自分に向けなさいよ。と、冷めたわたしは今自分にそう言っています。

 

 

 

 

結局外交が下手だからこのような戦火飛び交う事態なのに、

 

それで泣くのは政治家ではない。

 

 

 

 

 

このたびの戦闘において被害に遭われた、

一般市民、生き物、植物、大地、すべてに、

心からのお見舞いと哀悼の意を捧げます。