先日、韓国と日本の歴史の講座(1回目)が終わりました。
いやあ、良い対話でした。2回目も楽しみ。
いつもどの講座でも主宰のわたしは裏の主題を握っているため、
歴史を話しながら本当に伝えているのは歴史ではありません。
しかしながら今回は主題が見つからないままスタート。
ギリギリまで悩みパワポを修正し。
わたしの講座では、よく「知らなかったです」と言われます。
(ちなみに自慢ですが、入門編にしている【世界の教養編 パレスチナと宗教のこと】のアンケートでは、85%以上の人が「極めて有益な情報だった」と答えてくださって、最近は9割超えてると思います)
わたしは、そうではないと思っていて、
「今まで(無意識のうちに)知らないでいいように行動してきた」
「たくさんタイミングはあったけれど、「知る」という選択肢を選ばないままその日まで生きてきた」
ってことを省みて(氣づいて)ほしいと思うのです。
つまりは、「知らなかったこと」というのは自分の「知りたくなかったこと」の裏返しなのだ、と。
じゃあなぜ、「知りたくなかった」のでしょうか?
じゃあなぜ、他のことは「知っている」のでしょうか?
それらの違いは何でしょうか?
歴史という仮面をかぶりながら、その学びの時間が見せるのは、いつも自分自身です。
そして、やはり主題を握らずに始まった韓国と日本の歴史の講座についても、
終着点は、参加者それぞれの自分自身に行きつくのだろうと思います。
韓国と日本の歴史については、カンパニアさんとの共同主催で講座を開催しています。