大人になってから訪ねて、ああこんなにも小さかったのかと驚く場所がある。
わたしの場合、それは両親が別居中に住んでいた賃貸アパートだった。
あちこちに自分の両親の不仲について書いてきたので今更だが、
わたしが小学校時代に二人の別居が決まった。
スケスケだが体のいい理由をかざして、二人は別居を選択した。
母と住むことになった新しい家は、同じ学区内の賃貸アパートで、
外階段を上って、2階の突き当たりだった。
同級生のただいくん(仮名)ちがオーナーで、隣に住むただいくん含め近所の数名で登校した。
よくわかっていないようなただいくんの態度に救われたものだった。
ふとそのアパートはまだあるのか見てみたくなった。
そうしたらあった。当時のままの色だった。
外階段の一段ずつの高さも同じだった。
一段目が高くて、途中でカーブして。そう、あのドア。
合鍵の場所まで鮮明に思い出す。
なんと、アパートの小さきこと!!
こ、こ、こんな小さい建物だった?!
・・・いや、違う。
わたしが大きくなったのだ。
この建物を大きいと思うくらい小さなわたしが、両親の不仲に振り回され、
夜も泣き疲れて眠り、翌朝ぼっこりと目を腫らすような日々を過ごしていたのかと、
なんとも、なんとも切なくなった。
ずいぶんと時間をかけて傷を癒してきたし、
もう十分にその傷跡も見えなくなった。
けれどわたしは改めて、当時10歳くらいのわたしを抱きしめるのだった。
大好きな両親への接し方(愛し方)をあのとき、わたしは変えられなかった。
だが今になって思えば、両親からの愛の受け取り方なら、
変えることができたのかしれない、と、
今になって思う。
思えばわたしがどうあがいたって、
一体全体、両親のことなんてどうにもならなかった。
ずいぶん長いこと氣付いていなかったけれど、
"どうにもならないこと"にエネルギーを捧げているうちは、
本当にどうにもならない。
昨日、2月から始まった近現代史のコースが(やっと)終わった。
パイロット版の反省から13回連続講座にしたら、今度は長すぎて、
わたしが疲れてしまった(次は10回にすると決めた)。
話題の大半は当然、コロナやコロナ後の世界へと引っ張られた。
「少なくとも1ヶ月前は、自分はもっと希望を持っていた」と語る人がいた。
あれよあれよと、コロナ後の世界は「元に戻る」が基軸になってしまった。
新型コロナウイルスによって何が変わりましたか?と、問うたら、
どういう答えが返ってくるだろう?
通勤時間、仕事の仕方、移動方法、人との距離、行く場所、
食べ物、マスク、手洗い、コミュニケーション、、、
色々出てくるのだろう。
では、「意識」はどうだろう?
お金に対する意識、政治に対する意識、食に対する意識、
地球に対する意識、人生に対する意識、"いのち"に対する意識、、、
これらは、どれほど変わっただろう?
明治維新、真珠湾奇襲、原爆、原発事故。
都度「意識」を変えることに目覚めなかったから、
同じことが繰り返された。そしてまた、ここで。
わたしたちの未来は変えられるだろうか?
戦争はもういい加減、無くせるだろうか?
"いのち存在そのもの"に価値をおく未来は残せるだろうか。
空を仰ぐ。
歴史を思う。
神様どうかお与えください
変えられないものを 受け入れる落ち着きを
変えられるものを 変える勇気を
そして その2つを見分ける賢さを
(ニーバーの祈りより)