日本企業の罪??



すごくインパクトのある題、ですが、思うことがあったので書いてみたいと思います。


先日転職キャリア系イベントのお手伝いをしました。
その際にいらしていた、海外勤務を希望していた方の話を聞きました。


夢を持っている学生って、夢を実現するために就職しますよね。会社であんなことしたいな、こんなことしたいな。って。そのために一番条件とか合いそうな企業を探して入社するパターンが多いと思うのですが、入社してすぐやりたいことができるなんて会社はまずなくて、「まずは業務を覚えてください」「次はあっちの業務を経験してください」「そしたらジョブローテーションで今度はこれを覚えてください」「そして年齢も上がってきたのでマネージャーになりましょうか、マネジメントを学んでください」・・・。入社前に抱いていた夢は夢のまま、一向にやりたいことに届かない。


結局、やりたいことをやりたい場合には偉くなってね、と言われます。


あー、そういえばわたしもコーチングを学び出した最初の頃、人事の人に社内コーチ制度を作りたいという相談をした時、「よしざわさんが支店長になってからその支店の中でコーチングを使ってみたら?」などと言われたなあ。ペーペーでしたから、そんなの、一体何年先になるのさ、って、ガッカリしたなあ。。。


で、そんな風にいつになってもやりたいことができない。やりたいことができる年齢になると、守るものも増え、しがらみも増え、体力は減り、野心よりも安定が大事になり、変化が億劫になる。


こうやっていつの間にか、やりたいことがやりたかったことになり、やり残したことになり、次の世代に託すみたいなわけわからないことになる。若い社員に「応援してるぞ」なんて、言っちゃってね。



30代のまだこれからな人も、そういうスパイラルに入っていて、それに気付いていないし、気付いた頃にはもう、あまりに大きな挑戦になりすぎている。上の、海外勤務を希望していた人も同じ。もし、学生の時から抱いていた夢を実現できるような環境が与えられたとしたら、その人はどんな人生を歩んでいただろう。と、思うどころか。


どんな日本になっていただろうと思うのです。そして、どんな世界が実現されていたのだろうと思うのです。



日本は、識字率ほぼ100%ですし、賛否両論激しくとも、学校教育の中で培われた教養があります。誰もが雨の後の水溜りの水は飲めませんよ、と、知っています。公共施設を綺麗に使うことの必要性を知っています。


さらに、日本古来から大切にされてきた神道の考え方、即ちすべてのものに神が宿るという考え方ゆえに、新しい宗教に対しても暴力が起きないこの日本が、世界の隅々にまで届いていたら、と、悔やんでならない。


日本の豊かなリソースが日本に留まるというのは、そうやって維持されてきた面から考えると素晴らしいですが、一方で勿体無いなあとも思います。世界の中で母国語が生まれたままの形で現代まで残っている奇跡は、日本無くして語れないからです。もっと、日本が世界に発信できることはたくさんある。


だから今わたしは、リーダーシップという言葉を用いて、「誰もが自分を語れる日本」を目指しています。日本について知ることは当然のこと、「世界の中の日本」という目線での歴史を知っていることも大事な教養だと思うし、今後日本がグローバル社会に貢献するための最も大事な礎になると思うのです。


少なくともこのブログをご覧の皆様には、どうか知っていてほしい。日本という存在の奇跡を。もしかしたら、それゆえに犠牲になってきたことが、表題のことかもしれない。


家族の中、チームの中、そしてグローバル化社会の中で、生きてくというのは、自分を語ることでもあると思います。それに貢献するのがわたしがやっているシステムコーチングであり、リーダーのための歴史教室です。


そして、それぞれが自分を語るようになった時、おのずと、組織が語られるようになると思うのです。

当初のテーマからずいぶん離れてしまいました。ご愛嬌。



<リーダーのための歴史教室 開講中>
歴史から学ぶための歴史教室。
歴史を語りながら、リーダーとしてのあり方を問うています。