清濁の分別プロセスとリーダー論;漢方の視点から


前回、「清濁併せ呑む」話について書きました。
漢方的には、清濁の見極めプロセスと、その処理方法がとても大事ってことを思ったので、前回の続きです。

食べ物が口から胃に送られます。消化全般、五臓でいう脾(ヒ)が担当してくれます。現代医学の脾臓とは違います。食べ物を胃の中でお粥状態にして、小腸へと運ぶ過程で清濁の見極めを行います。体にとって必要な栄養はこの段階で「清」と判断され、「水穀の精微(スイコクノセイビ)」と呼びますが、重力に逆らって身体の上の方へと運ばれます。重力に逆らうことにもエネルギーである「気」が必要です。一方「濁」についてはそのまま大腸へ送られ、水分が吸収され、尿便として排出されます。小腸でうまく分別されないと清が便になって食べても痩せちゃったり、大腸で水分をちゃんと吸収してもらえないと水状便になっちゃったりします。まあそれぞれ、小腸が悪いわけでもなく大腸が悪いわけでもなく、身体のどこかに不要なもの・足りないものがあって、バランスが崩れているわけですが。

この清濁分別のプロセスは身体の中で重要な働きになって来るのですが、清も濁もその時は身体にとって必要なものでした。今はその身体には不要になったので濁だけは排泄されるということ。


さて、わたしたちは普段、善悪の中に身を置いています。もう1人の自分が、それは良いとか悪いとか、自分の価値観を元に判断しています。もしリーダーとして清濁を良い(善)悪い(悪)で判断したら・・・?

濁はダメだ、清は良いものだ、本当に?
清はダメだ、濁は良いものだ、本当に?

え、いやいや、どちらも大事でしょ?

だって体は、「今」この体に必要なものを清として、「今」この体に要らないものを濁とするのだから。
時にそれは、清となり、濁となる。
だから、善悪なんてわからないんです。好きか嫌いか、良いか悪いかではなくて、そもそもそういうのが違う。レイヤーが違うというか、なんていうか、伝わるかな・・うー・・汗


清濁併せ呑むということわざについて二回シリーズで書いたのですが、清・濁というものと、善・悪というもの、その判断の価値観、その辺をちゃんと分けて考えてみるってこと、これすっごく大事だよ、ってことです。

マネジメントの参考になれば幸いです。



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