責任の所在;漢方の視点から

私たちはたいがい、悪者を探し出し祭り上げるのが大好きです。昨日も今日も一年前もきっと一年後も、何か不祥事がある度に責任者が誰なのかとか、出てきて頭を下げているその責任者を責め立てるようなコメンテーターが引っ張りだこです。


今日はそれが悪いとか良いとかいう話ではなく、それが漢方の世界だったらという話をしてみたいと思います。


例えば便秘の時、体内ではこんな感じかな。

<体内劇場>

脳「えー、便が出ていませんね。便は大腸ですね。大腸さん、責任取って早く出して」

大腸「いやいや、わたしは正常に動けます。わたしを悪く言うなら、胃を悪く言ってください。胃がかっらーいキムチばかり受け入れるから、そのカプサイシンとやらが余計な熱となってわたしの方へ届くのでもう暑くてへとへとです。サウナ状態。たまりません。これじゃあ正常に働けないどころか、便の水分だって蒸発するに決まっているでしょ!余計出せないんですよ、もう勘弁して欲しいですよ」

胃「いやいや、大腸さん勘弁してくださいよ。わたしだって好き好んで辛いキムチばかり受け入れているわけじゃないですよ。受け付けないようにストライキもしているのにそれでも入って来るんですよ、こっちだって被害者ですよ怒」

口「わたしねー、痛いんですよ〜。だからね〜、大して噛まずに早く飲み込んじゃうのよね〜。」

大腸と胃「ほらー!!!じゃあ悪いのは口さんですね!いい加減にしてください怒」

口「だからってしょうがないじゃない〜、口は入ってきたものを飲み込むのが正常なんだもの〜。わたし何にも悪いことしてないもの〜。第一わたしには手がないのよ?どうしてわたしが悪者なのよ!口に辛いキムチ運んで来る手がいけないんじゃない怒」



と、まあこんな感じかもしれません。


では便秘の責任者は一体誰だったのでしょうか。体内ではそれぞれが正しい働きをしていることがお分かりいただけたと思いますが、結局責任者が見つかりませんね。同時に大事なことは、お互いに繋がっていて影響を与え合っているということ。


さて、マネジメントに落としてみると。

ふと貴社の社内を見回した時、あるいは今ワイドショーを賑わしているニュースでも、同じことが起きていますね。「責任の所在探し」にエネルギーが流れ始め・・・。会社の場合は役割や立場として責任の所在が明らかになる場合がありますが、「あれは実はあの部長のせいじゃないよね」などとヒソヒソと影で話してますね。


けれど上の体内の例のように結局責任者なんて特定できないどころか、肝心なのはそれぞれが現場に加担していることを認められるかどうかです。大事なのは責任の所在が明確になることではなくて、じゃあどうしていくのかってことなんですね。


上の体内劇場で言えば、誰が悪いのかにエネルギーが割かれるのではなくじゃあなぜ口に辛いキムチがこんなにたくさん運ばれてきちゃうわけ?がみんなで話される状態。

会社の中で言えば責任者が誰なのかに焦点が当たるのではなく、なぜこういう事態が生まれちゃうわけ?がみんなで話される状態。


エネルギー使う場所を選ぶ組織はやっぱり最終的に強いですね。

※注意。キムチが便秘の原因になるという話ではありません。


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